「弱者やマイノリティにはやさしくしなければならない」という勘違い――はてこはときどき外に出る
(前略)
自分の配慮を過分の親切だと思い込むとき
海外留学を望む人が渡航予定の言語を学ぶことを善良さと結び付けて考える人はいません。しかし手話や点字を学ぶことを人間性と関連付け、褒めたり腐したりする人は大勢います。外国で商売したい人、言葉の通じない相手に恋をして新たな言語を学ぶ人は、これを過分の親切だと思うでしょうか。「そこまでしてくれるなんて」と感謝されるとは限らず、拒絶されても「言語まで学んでやったのに、感謝もしない」と怒るいわれはありません。
意見の違いは誰にでもありますが、自分より経済的に豊かでない人、また教育の機会をそれほど持っていなかった人と意見が食い違った場合「この人は貧しいから頭が悪いのだ」「十分な教育をえた人なら自分に同意するはずだ」と思い込み、個性の違いや相手の意見の妥当性について考えるのをやめる人もいます。性別、人種、国籍、宗教の違いから同様の思考停止に陥る人もいます。その人はレッテル貼りを理解だと思い、異論や反論を相手の知性のなさ、または感情的な問題だと考えます。
こういう勘違いをする人は、自分で定めた根拠に基づいて相手の人権をどこまで認めていいかを審議しようとさえします。つまり教育を受ける権利、仕事を選ぶ権利、居住地を選ぶ権利、医療を受ける権利、生存する権利、子供を望み、家族を望む権利、伴侶を得る権利、そしてこれらに関する法的な保護を受ける権利などについてです。
そのような人は自分が弱者やマイノリティについて真剣に心を砕く善良な人間だと考えるかもしれません。しかし実際には人の人権を値積もりする資格が自分にあると思い込んでいるのです。これは斜め上の勘違いであり、明らかで恐ろしい差別です。
「やさしくしてあげたのに」
なぜこのような勘違いをするのでしょう。これらの人は「やさしくしてあげなければならない」という言葉を「本来ならふつうの人にはする必要のない特別な配慮をしなければならない」という意味だと思い込んでいます。そして単に相手とやりとりするための創意工夫を特別な配慮だと考えます。そうした過分の配慮を社会的に強制されていると感じる人は、見返りとして特別な感謝や特別な尊敬を受けることを期待します。
このように考える人は、相手が自分の特別な贈り物を受けるに値する人格者であること、清廉潔白で、謙虚で、感動的に善良な存在であることを期待します。そしてその幻想が砕かれると裏切られた気持ちになり、相手に制裁がくだることを望みます。
同じ人が二人と存在しない以上、目の前の人は必ずあなたとどこか違うところを持っています。同じ社会で暮らす以上、暮らしやすいように譲り合うのは当然です。意思疎通のための創意工夫もごくあたりまえのことです。自分に示されたさまざまな配慮に感謝するのはよいことですが、自分と違う特徴をもつ人に配慮をしめしたからといって、相手から感謝されることや相手が申し訳なく思うことを期待するのは間違いです。
(中略)
障害を持つ人は障害を持つふつうの人であって、障碍者という人種がいるわけではありません。生活レベル、教育レベルが違う人、性的志向や、感覚、思考の方向性の違い、人種や性別、宗教や国籍が違う人も、やはりあなたと違う点をもったふつうの人です。
ふつうの人は人が自分と対等に接したからといってことさら感激したり遠慮したりする理由はありません。もちろん別段尊敬される理由も、傲る理由もないのです。
人は自分と同じ属性をもったグループを肯定したがり、不快な特徴は違う属性を持ったグループのものだと決めつけたがります。そして自分にとって好ましくないグループの中に、自分にとって感じのいい人があらわれると、特別に自分のグループのメンバーに入れてあげてようとします。たとえば名誉男性、名誉白人とよばれるものがそうです。「○○はろくでもないけど、あなたは例外。だから自分の仲間と同じように扱ってあげる」。
(中略)
はたしてこれが相手の尊厳を重んじた親切で「やさしい」行為であるかどうかはともかく、わたしだったらそんなとき心の中では敬愛する夫のこんな言葉を思い出すと思います。「『入れてあげる』じゃねえんだよ。てめえのカーストごっこに乗っかるつもりはないっていってんの」。
わたしはとてつもなく誤解されやすい。
「発達障害だから仕方ないけど」
「それだけ頭が善いにも関わらず、できないのはやる気がないから」
と云うひとは多い。
わたしは発達障害だ。
障害者でもある。
Xジェンダーと云うセクシャルマイノリティでもある。
だけど、わたしは判りやすく「可哀想なひと」にはおさまりきらない。
わたしには学歴だってある。
筑波大学を卒業したと云うことは、
わたしが分不相応にも
「社会に出よう」、
「わたしでも社会に出れるんぢゃないか」
と血迷った
(だって、行き着いたものが自殺未遂なのだ。)
折には、
正社員として採用する根拠ともなったほどだ。
容姿だって所謂〈可愛い女の子〉として〈パス〉する。
わたしのお洒落は〈女装〉だし。
アスペルガー症候群はことばはやたらと発達している。
そのくせ、ことばを独特に遣う。
わたしも例に漏れずことばをやたらに独特に遣う。
それが「偉そうだ」、「できないクセにいい気になって」になる。
江國香織の『落下する夕方』の中で華子と云う登場人物が「いい気な大人は叱られる」と云うところがあって、ラスト近く華子は自殺するわけだけど、わたしもいい気になっていると云う批判をされることは多い。
吃驚したけれど、介助者に云われた。
「ミカヅキさんはやることやってないクセに偉そうに権利ばかり振り回しているみたいに見えます」。
ヘルパーステーション移籍を決めたばかりのわたしにとっては、
やっと戦禍の中(ぶるーむ)から逃げおおせたと思って、
砦に辿り着いたら、
味方(介助者)に刺された気持ち!
ぢゃあ、「やること」とやらはなんなのか?
介助者によれば、
「貢献し理解されるようにすること」だそうだ。
「ぶるーむの頑張りがあったからこそ
ミカヅキさんはひとり暮らしできていると云うのに
あまりにも感謝の念が欠如している。
のみならず踏みにじるような行為だ」。
介助者が云うべきことぢゃないと思った。
Gさん(自立生活センターのひと)やぶるーむのひとが云うのならまだ話は判るけれど。
それでわたしはそんな風に云った。
途端、介助者は云いはじめた。
「わたし、時間外ではたらいたこともありますし、
ミカヅキさんのこうふくのために
自分のお金や時間を使ってなにかつくったこともあります。
そう云うものが裏切られた思いです」。
呆れてしまった!
プレゼント攻撃をしといて、
振り向いて貰えなかった途端、
逆上して相手を刺すストーカーと
おんなじ論理(ロジック)ぢゃないか!
時間にしてもわたしはつけてくださいと云いましたよね?
つくったことだってわたしは「お金を払いますよ?」や「もうつくってこないでください」と何度も云いましたよね?
すべて、固辞したのは○○さんですよね?
それを今さらになって、
あんなにも尽くしてやったのに
(わたしが期待したものぢゃなかったから)
返せと攻撃に転じるようなのは、
醜いとは思いませんか?
ところが、さらに攻撃はつづいた!
そもそも、ぶるーむを辞めようと思ったわけは、
「眩しい世界」を本気でdisってしまう件にも書いたように
目に見える貢献をしなければ、さぼっていると見なされる風潮が
耐え難かったからだ。
わたしは目に見える障害者運動以外にも
間接的な障害者運動だって立派に障害者運動たり得ると信じている。
だけど、介助者はそれでは意味がないのだと云う。
「江戸時代とか障害を持たれた方は家族が看なければ死んで行くしかなかったわけですよ。
それをこうやって、ミカヅキさんがひとり暮らしできるのも闘ってきた誰かがいたわけで税金とか制度も整備されてきたわけですよ。
実際、あたしも『障害者のひとり暮らしのお手伝いをしています』と云って、『障害者なんか施設に入れておけば善いんよ』と云われたこともありますし。それが世間の大半だと思うんですよ。」
絶句した。
「だけど世の中の大半がそうだからと云って、そこに判って貰う必要がありますか?」
やっとそれだけ云うと、介助者は即答する。
「あります。
何故なら税金だから。
世論を味方につける必要があります」
ちょっとことばを喪ってしまった!
はあ~!?
よくもそんなことを堂々と口にできるね?
良識を疑われるよ?
障害者なんか施設に入れておけばいいさが
世間のひとの考え方だから、
障害者は可哀想なひととして
申し訳なさそうにするなら助けてやる
と云うようなものではないか!
よしんば世の中の大半がそうでも
みんながそうであるからと云って、あなたもそれを信じられると云うの!?
このひとには〈自分と云う軸〉がないのだと云うことは、判っている心算(つもり)だった。
だけど、此処までだと思わず、愕然とした。
ハッキリ云って、わたしと世界の隔たりにはとおい気持ちになった。
と云うのも今回介助者が激昂したのだって、
わたしが不用意に「介助者として」と云ってしまったことが発端だった。
介助者には「お前は社会人失格だ」と云われたように感じられたみたいである。
世間のひとが会話にこめているとされる〈ことばの裏の意味〉に触れるとき、
含まれる悪意に慄然とする。
しかも、介助者にさえ、理解されないのだ。
わたしが仮令(たとえ)、「はやくしてください」と云ったとしても単純にはやくしてほしいだけであって、そこに「なんではやくしないのか」や「不愉快だ」は1ミクロンも含まれないのだと云うことを再三再四説明してきた筈なのだ!
ああ果てしないな……。
わたしと世界はこんなにとおい……。
だけど、わたしはあきらめないことにしたい!
やがてこの声が世界に届く日もきっとくる。
その日がきたなら、
ほんとうの権力を手に入れられたなら、
そんな世間などはねじ伏せてやる!
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