ヘルパーステーションを移籍することにしたことがそれなのだけど、
ぶるーむを辞めることを顕(あきら)かにして以降、
ぶるーむの常勤のひとの態度が豹変した。

予測できたことで、
その見通しもなくやめたと父親は云う。

見通しがあまかったのはたしかだ。
と云うか、大人なのだからだいじょうぶだろうと思っていたのだ。

だけど、
現実はそうぢゃなくて、
わたしは途方に暮れている。

常勤のひとの中で
わたしはエネミー認定されてしまったらしい。

髪を洗って、かわかしてもいない。
無理にでもやって貰わないわたしがたぶんいちばん、悪いのだ。

けれど、
そこで云えなくなってしまうのもまた、
わたしなのだろう。

指示を求められて、
けれどもわたしは
もはや指示どころぢゃなくて。

寒くて堪らない。
手足が冷たい。
空腹と喉の渇きは限界に近い。
それよりなによりも
心痛(ハートエイク)がつらすぎる。

どうしよう。
どうしよう。

介助者となにかあったとき、
わたしは何時(いつ)も、
隔たった〈火星を想う〉ことにしている。

このあいだ、かばん関西MLのオンライン歌会にわたしはこんな歌を提出した。

わたくしが生きるためには手助けが不可欠なゆえ火星を想う  ミカヅキカゲリ

みなさんがこれを評して、

▼▼ 光太郎の「火星が出てゐる」を一首の背後に置いたと考へて撰んだ。この距離感が大事だと思ふ。結句の理不尽な表現をそこに収斂させられるかどうか。
この火星はいいと自分は読んだ。
▼ 飯田有子なら「西川布団のタグ」に助けを求めるところでしょうか。もちろん人が生きるには知らず知らず何百人もの恩恵を蒙っている
のだけど。「たすけて」とは、くちに出しては言わない。まだ。と唇をかみしめているような。火星が「闘い」の星だから、そう思わせるのかも。
▼ なぜ「火星」を想うのでしょうか?「加勢」との掛言葉?
▼ なんの論理か分からないけれど「火星を想う」が唐突で力強く、惹かれました。いろいろ理屈を言っているけれど、
そういうめちゃくちゃさが人間にはあるのですよね。「わたくし」と丁寧にいわれ、「わたくし」とは何者か分からないけれどそれを知っているわたしは「わたくし」を大切にすべきだし理解しようとすべきものだ、という気持ちになりました。
▼ 結句が切ない。「火星を想う」は、唐突なようで、実は率直な思いがストレートに詠まれたという気がした。余分な説明や修飾語は不要という好例。
▼ これは実際に手助けなしでは生きていけない病人などが主体の一首だろうか。
あるいは精神的な支えが不可欠との意味なのかも知れないが、そんな重々しい内容を軽い表現で詠った上の句と、
そこから火星に飛んで行く意識の突飛さが上手く結びついた歌のように感じた。
こういうまったく関係のなさそうな突飛なものを結びつけた歌はたいていの場合は失敗するものだが、この歌では見事に「火星」
がよいアクセントになっているように思う。
また、何気ない表現だが「不可欠」という言葉の選択も非常に効果的で上手く活きているように感じた。
▽ 火星は何の喩なのでしょうか。地球から近い惑星、戦いの星、宇宙人。どれもそのままではしっくり来ません。
▽ なぜ火星なのか分からなかったが、○○さまの評が適当な気がする。そうか、火星はマルス、戦いの星で、己と戦うということか。
作者の思惑とは違うのかもしれないが。

と書いて呉れた。
これはそもそもはじめにつくった時点では

わたくしが暮らすためには介助者が不可欠であるゆえ火星を想う  ミカヅキカゲリ

と云うもっと直接的な表現の歌だった。
歌会に提出したいと思った時点で、今のものに整形しなおした。
歌会ははじめは無記名なのに、「介助者」とか書いてしまったらわたしだと云うことがバレバレになってしまうから避けたと云うわけ。

或るひとが評で

いろいろ理屈を言っているけれど、
そういうめちゃくちゃさが人間にはあるのですよね。

と書いて呉れたことが
あまりに的確でおどろいている。



前にやっぱり短歌を評して、

〈秒殺〉と〈瞬殺〉くらべ〈秒殺〉のほうが余裕(ゆとり)があるなと思う  ミカヅキカゲリ

これは辞書的な意味をくらべているのではない。作者は「秒」と「瞬」が持つ形象や音などの分かりやすい印象をはじめ、ひとつの漢字がその背後に負っている時間的量的な情報の全体を直感しているのだろう。あえて並記されることで、〈瞬殺〉の鋭利が不気味に立ちあがる。このような社会的合理にそぐわない「くらべ」をせねばならない精神の非常事態が、歌の強度や自立性を支えている。余裕があるのは殺す側か殺される側か、それは誰にもわからないのだ。

と書いていただいたことがある。
そのときもあまりに的確でおどろいた。

そう。
「社会的合理にそぐわない「くらべ」をせねばならない精神の非常事態」。

わたしにとって、

ことばは何時(いつ)も

〈ココロの非常事態〉に根ざしたものだ。

わたしはalways〈ココロの非常事態〉であって、

〈ココロの非常事態〉に直面すると

ことばを綴りはじめる。

或いは、

ことばに縋ると云い換えても介意(かま)わないと思う。

これは手紙。

〈ココロの非常事態〉からの手紙。

どうか届きますように~☆彡



追記①
わたしにとって、
手紙がいかに大切かを示す好例であると思うのが
わたしは文章にするうちに、
〈ココロの非常事態〉から脱却できて、
常勤のひとにも遅れながらも「髪をかわかしてください」と指示できた!
我ながら、おどろいた。



追記②
ところで、
何故、火星か?
にこたえ忘れていた。

何故だろう?

わたしがよく想うのは、月。
太陽は厭(きら)いなのだ。

夏がため帽子買います 太陽は威張っているし厭いですから  ミカヅキカゲリ

太陽、神、そう云う正しいとか前向きさとかわたしにはちょっと苦手さを感じてしまう。

介助者にエホバの証人のひとが居るのだけど、
わたしの好むものたち、
弱いもの
ゆがんだもの
悪魔
ヴァンパイア
マイノリティ
などは
善くないものとして悪魔の所業とされる。

そんな中にあって、

太陽より月に
神より悪魔に
正しくて前向きよりゆがんで弱いものに

わたしは牽かれてしまう。

だから、わたしがひとりきりで想うだけならばそれは勿論(もちろん)、月である筈なのだ。

でも、介助者となにかある場合、
すでに他者が関係してきてしまっている。

わたしにとって、或る種類の暴力のようにさえ、感じられることだ。

だから、月では弱すぎるのだ。
或いは、やさしすぎると云い換えてしまって介意(かま)わない。

ときに地球に近づくこともある赤い星の不穏さ

が〈そぐ〉う!

何処まで判っていただけるか、謎だけど。