Gさん(自立生活センターのひと)が云う。
「だから、(介助者は)違うこと、云うって教えたぢゃん! 訊いても、違うこと、云うよ。」
……なんか騙されてる気がする!
悪いところとして、挙げられたこと。
1.溜め息が多い。
眸(め)の前で溜め息をつかれると介助者としては「怒らせたかな?」「不愉快なのかな?」と非常に不安になってしまい、ストレスである。
2.台風の日に外の様子を見に行った。
態々(わざわざ)、台風の中、外の様子を見に行かないでも善いんぢゃないか。介助者としては「何かあったらどうしよう。」と不安でストレスになる。
云ってることも判らなくはない。
ないのだけど、
「そこまでー?」と思う。
そこまで、介助者に気を遣いながら、生きなくちゃ以可(いけ)ないわけー?
1について云えば、
溜め息は、わたしの趣味なのだ!
溜め息をつくと、躰(からだ)の中の悪いものや汚いものが、すべて出て行くような気がするから、大変に気持ちが善い!
さらに云うならば、
溜め息は、本来、善いものなのである。
溜め息はリラクゼーションやストレス解消に効果があるとされている。
それなのに、介助者の貌(かお)を窺って、我慢するのか?
厭(いや)だ。
わたしは何時(いつ)いかなるときも、わたしで居たい!
何ものにも縛られずに自由でありたい。
2について云うなら、
台風の中を出かけて行ったと云うのなら、責められても納得できる。
だけど、そうではない。
あくまでも、外の様子を見るために、一瞬、表に出ただけである。
それくらいは、躰(からだ)の動くひとだって当たり前にすることではないだろうか?
わたしだっておなじことだ。
その程度の危険を冒すくらいの権利は、わたしにだってあるはずだ。
当たり前に経験したい。
それが、当たり前にわたしらしく生きると云うことではないだろうか?
わたしはそこを手放したくない!
結論を云うなら、
それっぽっちの自由もなくて、何が自立か!
それっぽっちの自由もなくて、何がひとり暮らしか!
と思わずには居られない!
特に、最近の自立生活センターのように、
〈当事者はもっと主体性を持って自立するべきだ論〉や〈介助者ロボット計画〉を謳いながら、
こう云うことを云うのは、
矛盾であると思わずには居られない!
介助者がロボットなのだったら、わたしが溜め息をつこうが、それこそ余計に関係ないはずだ。
何も思わないはずだ。
わたしはわたしで居よう!
自由であろう!
わたしらしく生きること。
譲らないで、ぶれないで生きて行こう!
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