介助者がいなかったのでミカちゃん(弟)がきて呉れたのだけど、
起きたらいなかった。

横たわっているので、
時間も判らず、
朝は知り合いがきて呉れると云っていたけれど何時(いつ)になるやら判らないし、
トイレに行きたいし、
すっごく不安だった!

いきなりいなくなるのは酷すぎる!



一時間ほどして、知り合いがきたから、、
「ミカちゃん(弟)、酷すぎる。せめてパソコンに向かわせて呉れたらいいのに。寝たままぢゃ、時間も判らないし、電話もできないし。」
とわたしは訴えた。

すると、

「やって貰っといて、何を云うか!」

みたいな反応をされた。

知り合いは云う。
「酷いのはお前たい! 何処の世界にああやってきて呉れる弟がおると思っとうんか! 何か、勘違いしとうんやないか? やって貰って当たり前だと思ってないか?」

そんなことは思っていない。
知り合いの云うことも尤もだと思う、たしかに。
わたしだって、ミカちゃん(弟)には感謝している。

でも、それとこれとは別問題だ。
わたしが不安の中におかれたのは事実なのだ。



そして、知り合いにトイレに連れて行って貰ったのだけど、知り合いは何かにつけて、

わたしを否定してくる!
いちいち文句をつけてくる!

仮令(たととえ)ば、

リフトでトイレに行くときにルームシューズを履くと云ったら、
「こんなん、いちいち履かんな以可(いけ)んのか! こう云うのがどんだけ、ひとの手間になると思っとうんか!」

リフトは引いて進むものだと云ったときも
「お前が拘泥(こだわ)っとうだけで、どっちでも善いんやないか!」

トイレットペーパーを取って貰うときも
「毎回、やらせるんか? 狭くてやりにくい! あらかじめ切っとけばいいのに。」

ビニール手袋をごみ箱に棄てると云ったときも
「こんな狭いところに入れさせて、お前、ひとのこととか、考えてないやろ?」

と、すべてにおいて、この調子である。

そう云われ続けていると、

「わたしが生きていること自体が誰かの迷惑にしかならないと云う否定的なメッセージ」

しか、受け取れなくて、とてもつらかった!

あとから介助者に話したところ、

「ミカヅキさんの受けとめ方ひとつで変わってくると思いますよ? ありがとうって云ったら、また、変わってくるかも知れません。ミカヅキさんに説教する心算(つもり)はありませんが、あたしも昔、云われたんです。」

と云われた。

一理、あるとは思うけれど、

知り合いが酷いと云うことも、また、たしかなことなのだ。

受けとめ方で変わってくるなんて云われても、だから、困ってしまう。
もやもやした。

もやもやしたから、ピアカンのセッションで取り上げてみた。
話したところ、

「何で介助者は知り合いの立場に立つんやろうか? カゲリンの立場に立って呉れんのやろうか?」

と云われた。



ところで。少し前に書いた。

笑いながら云ったら真剣に聞こえないと云うことも、
口調を真似されると不愉快だからやめてほしいと云うことも、

〈真実〉だ。
1ミクロンも間違っていない。

だけど、ふつうは空気を読んで指摘しないものらしい。

ぢゃ、〈真実〉は何処へ?



同じだと思うのだ。

わたしは1ミクロンも間違っていない。
ああ、もやもやするー!