ショートステイに来ている。
パソコンに向かっていて、この文章を書いているけれど、ネットはできないので、アップするのは帰ってきてからになるでしょう!

ショートステイのところで、

訊かれるままに

自殺未遂を図ったことなんかを答えていたところ、

「話せるくらい、明るくなれたんやね、」
と云われたから、

「いや、昔からこんなの。よく、反応に困ると云われる。

と答えたら、

「面白いね、カゲリちゃん。もしや天然?」
と云われてしまった。

…そうなのかな?



最近の状態は、危機だと捉えている。
物理的にも精神的にもかつてないほどの危機に瀕していると思っている。

精神的には自殺未遂を図ったころから、自分が抜け出せていないのを感じてしまう。
特にショートステイに来たり、生命を維持するだけの施設と何ら変わらぬ介助の介助者といるときだったり。そう云ったときに孤独感が深まる。

そう云う意味では、わたしは介助者にこころの繋がりを求めているかも知れない。

物理的な危機の部分は、介助者が足りなくてショートステイに来なくちゃならないこととか、自分が安心できない生命を維持するためだけの介助者に頼っていることとか、家族に来て貰っていることとか。

安心できる生活の場を作りたい。
わたしが自由になれて、ポテンシャルを発揮できるような安心できる生活の場。

そのためには介助者の理解と支援がもっと必要だ。
わたしは介助者に説明しなければならないだろう。

そのときに今の自立生活センターの考え方が邪魔するのだ。

〈介助者ロボット計画〉と〈当事者はもっと主体性を持って自立するべきだ論〉。

自立生活センターから見放されてしまったように感じられてならない。

まるで色の白い黒人のほうが偉いと云われているみたいな気がするのだ。

健常者に近くて自分で何でもコントロールできる障害者のほうが偉いみたいな。

精神障害はたしかに判りにくいものだから、
自立生活センターのひとたちに理解できなくても、
仕方ないことなのかも知れない。

でも、ほんとうに孤独感に苛まれているのだ。



あと、九月のショートステイ、
土日は空いていなくて、
平日は夜勤が男性だけなので、
うちはきびしいと思うと云われた。
やばい!

そうなってしまうと、

行くところがないと云うわたしの絶望に

拍車がかかってしまう!

生きていることが間違いなのだ

と思えてならない。
苦しくてつらい。