昨日の朝、思考でいっぱいいっぱいなのに文章を書けなくなったわたしは、友人に電話。

でもことばにならない状態なので沈黙。
ことばにならない旨をやっと伝えると、ことばにしてからかけなおして、といわれてしまった。

それで一生懸命編み出したのが、タイトルのことば。

掛け直して、
「躰の中が水でいっぱいであっぷあっぷして居るのです」
と云ってみた。
「泳いでみれば?」

うまく伝わらなかったみたい。

「泳ぐような空間はない。水でいっぱいなんだよ」
「水っていう空間があるでしょ?」

またうまく伝わらなかったみたい。

「水で満たされて居るから空気がない」

やっぱり伝わらなかったみたい。
けど、わたしがすぐに息できなくなることだけは伝わったみたいで
「息しなさい!」
と云われた。

「水はイメージの水なんだからイメージの中でエラ呼吸できるの」

別にイメージの水ではないんだけどな…

「呼吸した?」
「うん」
「どう?」
「涙が出てきた」
「そりゃ水でいっぱいなんだから溢れれば涙も出て来るでしょ」

それは伝わってるのか…

言葉って難しい。

次に、家に電話した。
母親が出た。
「・・・・なに? 電話代がもったいないでしょ?」

一生懸命ことばを捜した。
「奈良に行くの?」
「行くよ。それで?」
「・・・・・・・・・・・それだけ」
「なら切るよ」

ガチャリ。

…やっぱりことばが使えない。
履歴をみていて悲しくなってきた。
わたしはあんな相手と話したかったのではない。わたしのことばが通じる相手が居るはずなのに。

なので、その相手が出ることを願ってもう一度かけた。狂気の沙汰だとは知っていたけれど、

今度は父親が出た。失望感を覚えながら、妥協は良くない、今度は言いたいことをいってみようと思い直す。

「電話してきてそんな黙られても困る。なんなんだ?」
「大と話したい。わたしの携帯ではおうちは大って登録されてるの。大にかけてるのに大に繋がらない。わたしは大と話したい。」
「なんなんだいったい・・・」

ガチャリ。

無理もない。大(ダイ)っていうのは、死んだ犬の名前なのだ。
だけど悲しい。

別の友達にかけてみた。

「もしもし」
「どうしたの?」
「・・・・・・・・・だいじょうぶ」
「・・・いや、全然大丈夫に聞こえないよ? なにかあった?」
「言語翻訳機能が麻痺していて文章を書くことによる自己解決が図れなくなっているの」

一応説明はしている。が、こんどはやたら難解になってしまった。

「えっと、どういうことかな・・・苦しいんだったらおくすり飲むとか」
「レーキが、あ、いや、・・・・・・「抵抗」ってかんじかな」

末期症状だ。レーキ、というのは「多重人格者として生きる」という本に出てくる「否認のレーキ」という表現から来ているのだけど、そんなことば通じるはずがない。

そんなわけで、昨日はもうどうしようもなかった〔苦笑)。

もともと書こうとした文章は、「文章表現的に会話しても一番伝えたいことは伝わらない」ということだったんだけど。

単に、
さっき、カラオケで口説かれていて、はぐらかして居たらキスしてきて、という話を劇団でしたのだけど、

わたし的に面白いと思ったのは、そのときにわたしが歌っていたのが、「群青日和」だった、ということだったんだけど、
(だってこんな攻撃的な歌を高らかにうたっているのに、そんな耳とかを甘く噛まれても、とわたしは内心笑い死にしそうになっていたのです)

そのオチ(?)に行く前に、みんなの興味は、それをどうやってかわしてわたしがいまここにいるのかに集中してしまって、いや、本題はそこぢゃないんだけど、と思いながらも、オチを云い出せなかったのだ。
わたしのツボはマイナーすぎるのだろうか、とちょっと悩んでしまって。

ていうかそれを書こうとしたところから、言語機能が麻痺するところまでおちていくわけなのだ、わたしは。
そんな軽い話題から、此処までテンパれる自分がすげーよ、と思ってしまう。