お医者様と電話会談。
今日は10時半から劇団で会議、14時からチラシの校正。17時半から稽古。
だったのだけど、すべてパス。
ひたすら電話をしていた。
お医者様曰く、
「やっぱり年末年始だけぢゃなくて、一ヶ月とかゆっくりやすんでみたらどうですか。一月いっぱいとか、2月いっぱいとか」。
「いや、無理ですね…」
「無理なんぢゃなくて、その気がないってことでしょ」
「いや、てゆうか三月に公演があって今も毎日稽古だし、ふつーに無理です」
「もちろん劇団のスケジュールは無視する形になりますけどね」
「それはできません」
「でもね、あなたの状態は危険だと思うな」
「それはわかるんですけど、入院と云う手段がわたしにいいかどうかはわかりません」
「でもやっぱり覚悟を決めて一ヶ月とか……」
「いや、無理です」
以下繰り返し、みたいな。
大変混乱した。いつも味方についてくれていたお医者さんの態度が急に親や一般社会サイドに移行してたから。
でも懸命に話を続けた。
何が問題なのか。
何がわたしを追い詰めているのか。
それはもちろん期限だ。
「あと二年間は仕送りを続ける。それまでに自活できるようになれ」
と云う父親からの宣告。
わたしを何とか生きていける人間にしようと考え出されたものだとわかっているのだけれど、わたしには、
「期限の宣告」=「死の宣告」としか思えないのだ。
わたしは来年の三月には死ぬのだ。
と云う云い方をすると誤解を招いてしまうけれど、わたしの「来年」は「来年度」のことなので、あと一年以上はある。
世の中の人は意外と、年度で物を考えないらしく、お医者様も、2006年の三月にわたしが死ぬのだと思い込んでいて、それで焦ったのかもしれない。
わたしは年度でしか物を考えられないのだけれど。
まあ、とにかく、わたしの手元には大量の薬があって、いつでも死ねるのだ。
それでも、期限まではだめだ、と何とか踏みとどまっているのだから、そこの努力をもうちょっと信じて欲しい。
結局合意には至らず、また後日話し合うことに。
それから、親とも話し合う。こちらも果てしない会談。
合間に相方さんに電話してかなり長電話をしてしまった。
ダウナーっぷりをさらけ出してしまった。
ごめんなさい。
「やることなくなったら死ぬんぢゃないか」
相方さんにもお医者様にも云われた。
たしかに、そう。
やることがわたしを追い詰める。逃げ出したい、死にたい、と思う。
その一方で、やることがわたしをこの世に踏みとどまらせる。
明日は舞台だ、とか、今日はレコーディングだ、とか。
だからまだ死ねない、と、わたしは何とかこちらの世界に留まる。
一方で生きるための努力を続けながら、一方で死ぬための準備もすすめている。
とても奇妙だと思う。
今いちばんやりたいことは、自殺サイトをつくること、なのだもの。
まったくおかしな娘だ。
でも、わたしが死んだ理由は知って欲しいと思うから。わたしが何も残さなかったら、たぶんほんとのところはきっとわかってもらえないから。
あの子は弱すぎたんだ、生きてゆくには脆すぎた、で片づけられたくはない。
あるいは、あの子は社会との軋轢に疲れたんだ、とか。
おそらく、その辺の推測をされるのだろう。
それはやっぱり、いやだな。
だから、チラシとか、芝居とか、ものすごく忙しいのがとてもいや。ほんとは放り出して、引きこもって死の準備をしたい。
いや、どれもやりたいことだけれど、どれも散漫だからいけないのだ。そんな自分を赦せないから。
少し前までは劇団も辞めるつもりだった。
そしたら、役が二つもきた。
だから続けることにした。流されている、そう、流されている自分がいや。
……この文、相当暗いな(苦笑)。
だいじょうぶですよ、わたしはまだ死なないから。
まだ、死ねないから。