(①からのつづき)
過剰な感受性があるわりに強すぎる理性も、わたしには問題。
考えることをやめることができない。
もう考えたくないのに、頭の中で文章を書き続けている。
いっそ、狂ってしまえれば楽なのに。そう思うことも多い。
だから今週は理性をなくせないかと思い、いろいろ試してみた。
前回も書いたように、階段から意図的に落ちてみたりとか。
(飛べるかと思った一瞬に、身を任せようと)
もっと本能的生理的に生きられないかと思ってみたのだ。
けれど、うまく行かなかった。
階段から落ちている最中さえ、わたしの理性は健在だった。
多分これは防御癖。
放っておくと、そう云う危険なことすらしかねないわたしの想像力に、
きっと強すぎる理性で歯止めをかけることが必要なのだろう。
本能的になれない分、先生に出された代替案は、
書くこと。
理性が消せないなら、それを書くことで解消していくしかない、ということ。
でも、それも諸刃の刃。
わたしの創造性に身を任せるということは、
すなわち社会性を失っていく、ということでもあるから。
だから、書くことで生きていくしかないんぢゃないか、とのこと。
そのためにはもっと、書く力を身につけなければならない。
それがわたしにできるだろうか。
出来る、と先生は云う。
あなたは面白い。
そのうち、あなたを眺めているだけで良いというような人まで現れるかも知れない。
そうやって生きていくことだって出来るようになるかもしれないよ。
要するにパトロンを持てということ、らしい。
持てるものなら今すぐにでも持ちたいものだ。
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