いまの家には屋上がある。
わたしは、だいたいこの家がとても気に入っていて、収納の少なさは玉に疵だけれど、すとんとした縦長の形も、濃い焦げ茶の床と天井や壁の白の大人っぽい組合せも、暗証番号式で鍵をなくす心配がないところも大好きなのだけど、屋上に出たときなんかにはそんなことすべて忘れて、ここの屋上の存在こそがわたしがここに住む理由のすべてだ、などと大真面目に考えたりする。
それから、次の住まいを探すときも、ぜったい屋上だけは妥協しないようにしよう、とも。
屋上には夜中に行く。
眠れないときや不安なとき、気分がいいとき。
どっちのときでも屋上は等しく心地良い。とても寛大でとても平等なのだ。
しゃぼん玉を吹き、歌をうたう。時には街灯を頼りに本も読む。
何時間でもそこにいる。冷たい夜風で手足がすっかり硬質になるまで。
それから明け方にも。
迫りくる朝はいつもわたしを焦らせるけど、屋上から見る空の移り変わりは逆にわたしを落ち着かせる。
端目には、相当に危うく見えるのは自覚している。
でも、そうじゃないことを本人だけでも知っていればいいんだ。
これは教授の言(^彼はわたしのことを、芳しいひとだ、と云っていた)。
いちおう、そういうことにして、わたしは屋上を後にする。
部屋に戻ると相変わらず部屋の空気は止まっている。けれど、さっきまでみたく耐えがたく淀んだものではなく、柔らかに温く午後のプールみたい。
鉱石のように硬質な手足が少しずつ溶けだし始める。
その怠惰でまったりと甘い、自堕落な快感の中、わたしはようやく安心してとろとろと眠りにつく。
とろとろと、許されざる穏やかさで。
最近のコメント