お手伝いとしての公演2日目。
朝は、身体的よりも精神的な部分で前日のツケが来てしまい、
行かなければならないのに、動くことすらできなくて、
ほんとうに、どうしようかと思いましたが、
最後には、一応きちんと乗り切れました。
それでも、前半はかなりぐったりしていたようで、子どもたちが口々に、謝ったり、お願いしたりしてきました。あまりのことに、逆に戸惑ってしまいました。わたしが動けなくて死んでいる間に演出家が子どもたちにかなりの話をしたらしいのです。
別に、そんなのは要らないんだよ。いっしょに作れさえすれば。
そう言いたかったのだけど、力が出なくてうまく言葉になりませんでした。
でもそのおかげか、前日とは比較にならないくらい、いいものができたんぢゃないかなと思います。お客さんとして、観てみたかった、そうも思いました。
そしてわたし、後半は躁状態に近いくらいで、公演した子どもたちよりもさらに若い子どもたちとはしゃいでおりました。なんだか、そのほうがしっくり来て。
秘密を見せてあげたら、お返しに秘密を一つくれました。
どきどきするような、キケンな香りのする、甘い秘密を。
でも、身体は正直なので、息切れしたり、くらくらしたり、忙しかったですが。
それから、ある意味同じような状態の友人と、そのままカラオケに行きました。
前日の続きでやっぱりシャウト系。
友人には迷惑を掛けたかもしれないけど、おかげでだいぶんいろんなモヤモヤがすっきりしました。
これで、心おきなくダウンすることができます(駄目ぢゃん…)。
今回の一連のことで思ったこと。
創造的な作業、というのは、そのやり方や根本の美意識も含めて、
あたりまえに言葉が通じる、心が通じる、そういうひととぢゃなきゃ、
きっと、一緒にやっちゃいけないのだということ。
作ることを通して、何か(わかりあうとか、仲良くなるとか)を目指すというのではなくて、
作る内容のほうにとにかく集中したいと願ってしまう以上は。
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