真摯でありたいと思っている。
どんな経緯があろうが、引き受けた以上は全力を尽くしたいとも。
それがうまく噛み合わないとものすごくたまらなくなる。
元所属劇団の妹分のような、子ども劇団の公演。
わたしは、音響+アナウンス。
台本(しかも音きっかけのチェックもない)も当日渡され、
「19箇所あるから」といわれ必死でチェック。
やる以上はちゃんとやりたいし、いい物を作りたい。
けれど、そんな思いとは裏腹な展開ばかり。
相手がいくら子どもとはいえ、ものをつくる人間としてやるべきことというのは変わらないと思うのに、
自分たちの公演なのに、この期に及んでなんだかお客さまなのだ。
人がやってくれたら乗っかってやりますみたいな態度。
親たちもそう。子どもにできないなら、子どもであることを言い訳にするなら、
せめて親の方がそのフォローはすべきだ。
けれど、、舞台を作ることよりも、自分のこともが舞台に立つということのほうに夢中の様子。
演出兼講師も、独りで仕事を抱えすぎてそんなあたりまえのことが見えなくなっているらしい。
想像的な場のはずの空間が、耐えがたい空気に満たされる。
そして何より辛いのは、誰もそのことに気づかないこと。
おんなじスタンスで、信頼しあって仕事をしたいのに、
それがまったく通じないこと。
まだ2日目もあるというのに、一体どうしたのだろうというほど消耗した。
話をするのも億劫だったのだけど、それだと明日またいいものができないと思い、
自分を少し立て直してから、演出家に話をした。
一応反省は促せたようで、これで明日はマシになればいいと思う。
ただ、根本的な部分がうまく伝わらないフラストレーションは残る。
それは、わたしが辛い思いをしたとか、恨み言をいっているわけではないのだ、ということ。だから、わたしに謝ったり慰めたり、そんなことは要らないのだ。それより、明日の舞台のつくり方で返して欲しいのだ。それがうまく通じない。
ご機嫌を直すためなのか、演出家がカラオケに連れて行ってくれる。
喉を痛めるのも気にせずにシャウトして歌う。
こういう自暴自棄はあまりよろしくないけれど、
声楽で習ったことを地声で歌うときにも生かすため、
なんて大義名分を掲げれば、ほら、平気。
ずるくたって、構わない。
なんとか自分を建て直して、明日も全力を尽くせればいいのだ。
ものをつくる人間として。
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