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同じコトバ、違うコトバ。


同じコトバを使っているのに、どんどんすれ違っていく人がいます。
表面的な意味は合っているのに、ほんとうに大事なところが通じないときがあります。

そうして、不幸なことに、
それは、この社会で生きていこうとするときに、
大半の人だったり、大半の時間だったり。

そのたびに、
わたしの表面はチリチリ焦げて、
だんだんと失われてゆきます。
感じて弱っていくのと、感じないのと、
どっちがよりいいのだろう、そんなことさえ思います。
 

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最近会っていなかった友人と久しぶりに会い、語らいました。
彼女が何度も遊ぼうよ、とメールをくれていた訳が分かりました。
おそらく、わたしも、彼女も、お互いに、
当たり前に分かり合える存在に餓えていたのです。
何の無理をしなくても、すとん、と腑に落ちるような存在に。

いままでいくら言葉を連ねても分かり合えなかった人たち、あれはなんだったのだろう。
何をそんなに疲れていたんだろう。
そう拍子抜けしてしまうほど、
言葉だけぢゃなくて、ちゃんとその深いところまで通じるのです。
この感覚は、残念ながら今わたしが生きている現実の中では、滅多に味わえません。いっしょにプロヂェクトをやっている友人くらいかな。それ以外の人と対する場面では、逆にフラストレーションばかりが溜まってゆきます。
話をすることさえ、放棄してしまいそうになるほどに。

ほんとうに、行ってよかったです、いろんな意味で、楽になりました。
わたしたちはお互いに同じようなタイプで、だからこそお互いにボーっとしてしまってはなかなか逢えなかったりもするのだけど、
もっとちゃんと逢わないと駄目だな、と思いました。

…でも、彼女と遊ぶ度に、わたしはそう思っている気がします(苦笑)。
わたしのことを好きな人よりも、
わたしが好きな人と、もっとちゃんと一緒にいよう、と。
けれど、なかなか実行はできないのですね。
わたしのことを好きな人のほうが当然アプローチしてくるし、わたしを外の世界に連れ出すのがうまいし、その流れに乗ってしまえば、ある意味では楽でもあるし。

けれど、結局、それって、ほんとうに[楽]なわけではないのですよね。

快楽主義者なら、快楽主義者らしく、ほんとうの意味での快楽を求めるためにもっと貪欲でいないとな~、改めて、そんなことを思いました。
 
 

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