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コトバ、ことば、詞、言葉


最近ネットサーフィンにはまっている。
自分がコトバサイトを始めて初めて気が付いたのだが、
世の中には無数のテキストサイトがある。
詩、小説、コラム、日記、有形無形の様々な言葉たち。

垂れ流しに見えるくらい多くの言葉たちの背後には、
その数だけそれを紡いだ人がいるのだ。
その人の人生の様々な断片、
その人の想いの様々な側面が、
切り取られて、鏤められているのだ。

それがなんだか不思議。

わたしは全く関係ない場所で、
安全に隔離された状態で、
それらのコトバたちに触れることができる。
その世界に入ることができる。

それがなんだか不思議。

クリックひとつで、いかに多くの世界に触れられることか。
罪悪感すら感じてしまうほどだ。

あなたがどんな想いでこの言葉を世に送り出しているのか、
それとは全く関係ない気安さで、わたしはあなたの言葉に触れています。

だからわたしは最近、
訪れたサイトに逐一書き込みをしないではいられない。
ほんの一瞬のすれ違いでしかなくても、
わたしは確かにあなたに触れました。
あなたの言葉で、なにかしら心を揺らしました。
その証を残さずにはいられないのだ。

でも、そうやって、多くのコトバたちに触れれば触れるほど、
わたしの中には二つのものが生まれてくる。

ひとつは、言葉の洪水に引き摺られて、ただ立ち尽くすわたし。
ひとつは、自分のコトバを綴る意味を見失いそうになるわたし。

世の中にはこんなにコトバが溢れていて、
今、この瞬間も、加速度的に増殖していっているというのに、
わたしがコトバを発信しているのは、一体なんのためだろう。

そんなことを、殆ど自虐的に考えながらも、
わたしはこうやって、言葉を綴りつづける。
それはもう、余りにわたしの一部で、
わたしの意思ではどうにもならないような、
一連のプロセスと化しているのだ。

それが止められないのなら、
せめて、真摯でいよう。
そう思う。

せめて、
自分のコトバに、自分だけは裏切られないように。
自分のコトバを、自分だけは裏切らないように。
 
 

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