昨日の日記(あれが日記と呼べるなら)を読んで、なんだそりゃ…と思った人は多かろう。中には怒りを覚えた人さえ居るかもしれない。
でも、昨日は確かにあれがわたしの言葉だった。
わたしは体力がなくめんどくさがり屋なので、時折ちゃんと日本語を話す労力さえ惜しんで「にゃっににゃにゃにゃにゃ(日記書かなきゃ)!」みたいな言葉を話したり、そんな状態でも歌いたくて「ふぁ~ふぇふぁふぉふぁ~(晴~れた空~)♪」とふぁ行でうたったりするけれど、そういうのとは完全に違った。
わたしの中から日本語が綺麗さっぱり消え失せていたのだ。
わたしはうにゃにゃにゅ~?と思考し、うにゃと行動した。
わたしは言葉で考える人間だ。ずっとそう思ってきた。きたのだけど、実は言葉なんて思考に不可欠なものではないのだ。昨日の経験からすると。
うにゃにゃにゅにはたいしてバリエーションもない。語法も文法もない。それでも考えることが出来たし、その考えはちゃんと進んだし、行動も出来た。
ただ、哀しいかな。言語ではないので、記録には向かないらしい。
日記を後で読み返しても、
自分ですらそこに何が書いてあるのか分からないである…。
失敗失敗。
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