妄想癖。(やっと復活!!)


本番も無事終了。っていうか、もうとっくに。
だけどなんとなく元に戻れず、
非日常空間にぽっかり漂ったままだった私だが、
ここへきてようやく戻ってきた。
そこで戻ってきた記念に、友人Tマに、ねえねえ遊ぼうよ~コール。

 T:「あれ?もう大丈夫なの?」
 私:「え? 何が?」
 T:「もう体調戻った?」

さすが友達。本番終了後に私が寝込むことまでしっかり予測していたようだ。

 T:「絶対、翠ちゃん3日は寝込むって、U奈と話してたんだよね~。」

日数まで完璧である。お見事としか言いようがない。
 
 
そういえば、このペア(TマとU奈)、私が忙しくてなかなか会えないのをいいことに、
よく私の噂話をして楽しんでいるいるようだ。
確か公演前にも、「体力のない翠ちゃんがどうやったら舞台などやれるのか?」
というネタで勝手に盛り上がっていた(らしい)。

 ・舞台では普通に動けても、袖では倒れてんじゃないの?

 ・きっと袖に入る度に、酸素マスクでスーハーやってるんだよ!

 ・んで、Sさん(演出家)が妙に劇画チックに叫ぶんだよね、
  「翠! 舞台が待ってるわ!!」

 ・月影先生みたいにね。ザバーって水とか掛けて!

 ・ライト浴びたら急に元気になるんだよね、それまで黄疸とか出てたのに

 ・そうそう! それで、幕が下りた途端に、倒れるんでしょ?!

 ・翠~!!って(爆笑)。
  やっぱり、最後は担架でしょう? もう待機しててさ。

 
「舞台裏も合わせて中継してほしいんだけど。」(U奈談)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
っていうか、私はナニモノ?!
そんなことをマジにやっている人がいたら、それは人間じゃないと思うんだよね。
人のいないところで何を勝手に盛り上がっているんだ……(*_*;)!!
 
 
そして、これを劇団の仲間に話したら、
「翠ちゃんって、友達も変なんだね。友達にも妄想癖があるんだ・・・」
と呆れられてしまったのだけど…(そのコメントもどうかと思うぞ)。

私って、もしかして……、友達に恵まれてないのかしら……?(どきどき)
 
 

マリアには負けない!(仕込を終えて)


本番使う劇場を借りて早朝から仕込み作業。
そして夕方通しをやったのだが、本当に無理矢理で最悪だった。
もう直前だというのに、ここへ来てマリアの着替えが沢山増えて、
衣装係はもちろん、私本人でさえうまく把握できていない状態だったからだ。
はっきり言って通しができるような段階に達していないのだ。
正直、やりたくなかった。それでもやらなくちゃいけなくて、無理矢理やった。
当然ながら、もうどうしようもなく、すべてが厭になる程に最悪だった。

だけど、きっとよかったと思う。
混乱したり焦ったりして足りない部分がわかったから。
そこを埋めない限り、このままじゃ舞台に立てない。
そして、本来ないはずの、明日というインターバルに感謝。
あれが本番だったら、私はきっと・・・浮かばれない(笑)。

舞台にいるのはすごく楽しかった。けれど、裏があまりに大変でダメダメで、
マリアじゃなかったら(私自身のテンションのままだったら)
きっと途中で泣いたか、自棄になって投げ出したくなったか、してただろう。
ほんとにやばかった・・・。
一人じゃ無理なのもわかってるけど、どうしようもなくて一人でやっていて
結果として、周りにも迷惑をかけた。
明日中に全部の着替えや転換を整理して手伝ってもらう人まで決めてしまおう。
本番で演技以外のことでバタバタ焦ったりはしたくない。
それで芝居に集中できないのだけはなんとしても避けなきゃ。


だけど、舞台袖が辛かった分、舞台上で家族と関わるのがやたら幸せだった。
・・・それも現実逃避っぽくて変だけど、でもほんとに。

舞台袖でいっぱい混乱して焦って泣きそうになって、
だけど、舞台に出た瞬間に楽しくて暖かくて、どういうわけか自分も元気で、
そんな自分にホッとして。
それを繰り返してた。
役者倉沢翠の部分が、マリアに引きずられて、何とか保っていた感じ。

だけど本番は、あれじゃいやだな・・・。
マリアとしては幸せで楽しかったのに、倉沢翠はボロボロだなんて・・・。

マリアに助けられて何とか乗り切るんじゃなくて、
役者としての倉沢翠がマリアを統制して舞台の上で生きたい。

せっかくの初舞台なんだから、私自身も楽しみたい。

自分のためにお客さんのために、精一杯楽しんでできることをやろう!
帰って、私自身に戻って大泣きして、それだけは固く心に誓う。

マリアには負けない!
 
 

宙ぶらりん


わかんない怖さ と わかってしまう怖さ、

ほんとに怖いのはどっち?

宙ぶらりんは不安。
宙ぶらりん悲しい。
だけど、
宙ぶらりんは心地よい。
不安だけど、心地よくて、
心地よいけど、悲しい。

わかんない苦しみ と わかってしまった苦しみ

ほんとうはどっちが楽なの?

宙ぶらりん。宙ぶらりん。宙ぶらりん。
宙ぶらりんで浮き沈み。
宙ぶらりんに守られてるのかな。
宙ぶらりんに甘えてるだけかな。

だけど。

わからない。
わかることがいいのか、わからないことがいいのか、
ほんとうはわかりたいのか、このままでいたいのか、
そんなことさえわからない 宙ぶらりん...
 
 
 

声に出して文章を読む その2(下のつづき)


私は朗読が好きだ。そのこと自体は私にとって真実だ。
だけど、『朗読』という言葉が適切かどうかはわからない。
分からないから、たとえばこう言い換えてもいい。
文字として書かれてある文章を声に出して読むことが好きだ。
あるいは、
文字として書かれてある文章を声に出して伝えることが好きだ。

『読む』なのか『伝える』なのか。
私の芝居の先生ならきっと『伝える』に拘るだろう。
『読む』ことも、そのための技術も、『伝える』ためのひとつの手段に過ぎないのだと。
でも、正直なところ、今の私はどちらでもかまわない。
声に出して読んだ内容が、結果的に伝わってくれればとても幸せだけれど、
伝えることそのものが目的とまでは言えないでいる。
むしろ、『読む』ことそのもの、『声に出す/音声化する』ことそのものが
今の私にとってはある種の快楽なのだ。

表現者たらんとするなら、それでは不十分なのかもしれない。
自分が楽しいから、気持ちいいから、ではなく、
その思いや内容を誰かに伝えたい、というところまでが求められるのかもしれない。

だけど、今の私は純粋に声に出して読むこと自体が楽しい。
これが私のやりたいことだと胸を張って言えるのは、
音声を云う表現手段を使って『伝える』ことではなく、その表現手段自体を楽しむことなのだ。
私が『役者になりたい!』ときっぱりとは言えない理由はこの辺にあると思う。
ナレーションや語り、読む仕事をやっていきたい。
そのことは自分でもとてもしっかり切なくなるくらいわかっているのに、
それがイコール役者ということに繋がらない。
まだ、私が舞台1本も終えていない段階だからだろうか。
やったことないものを、やりたいかどうかなんて分からないというだけだろうか。
それならいいのだけど・・・。
もともと私が舞台をやりたいと思ったのだって朗読のときにその経験生かすためなのだ。
だから舞台を終えてみて役者をやりたくなかったらどうしよう、と思ってしまう。
表現者として伝えることをやりたくない、向かない、ということになりはしないだろうか。

もしそうなら、そんな私が朗読者(肩書きは何でも)として一生やっていくことができるのだろうか。
こんなに好きなのに。
私の道ではないのかもしれないという不安・・・。
これは多分どこまでも私に付きまとうのだろう、私がこの道を目指す以上。
 
 
 

声に出して文章を読む その1


文明論の授業で、偶然先生の隣にいた私は朗読をすることになった。
これ(神秘主義の文章)は文学なので美しく読んでいきましょう、ということで。

朗読は好きなので、厭な気はしない。
照れくさいし戸惑うけれど、むしろちょっぴり嬉しいくらい。
ただ・・・
美しくとは云われたものの、あくまで授業の中での朗読だ。
どこまで情感を込めるべきかも分からない。声もわずかだが震えてしまう。
初見だし、アクセントが不安な部分も23ヶ所あった。
それでも内容に集中して意味を読み取りながら丁寧に読む。

夢のお告げに従って財宝を求めて長い旅をした男の話。
旅の果てに男は、別の夢のお告げを受けた人物と出会う。
自分はお告げなど信じないと男を笑ったその人物の夢の内容は、
遠い異国のある家の暖炉の奥に財宝が埋まっている、というもの。
そのある家とは、なんと男自身の家だった。男はその人にお礼を言うと急いで家へ帰った。
そうして暖炉の奥を掘ると、そこには夢のお告げのとおりに財宝が眠っていた。
つまり、財宝(知恵)は遠い異国ではなく、自分の家(自分の心)の奥に眠っている。
しかし、それに気づいて掘り起こすには、
遠い見知らぬ土地への長い苦難の旅を終えなければならない、というもの。

なるほどな、深いな、と思いながら読み終わってみると、
なんだか体が熱くなっている。ああ、私やっぱりこういうの好きだ。
そして、周りの反応が気にかかる。
なのに、一瞬、その場を覆ったのは沈黙だった。
ほんの数秒、だけどはっきりそれとわかる空白。
え??おとなしめに読んだつもりだけど、変に浮いちゃったかな?
逆にあっけなく早すぎて、意味が伝わってないとか・・・?
怖い。
興奮に火照った体の中を動揺が一気に駆け回る。

「すごーい、きれい! ほんとに素晴らしかった。ありがとう!」
次の瞬間、先生の言葉が聞こえてきた。
沈黙の後だけに、心底感心してくれてるように聞こえる。
「いい見本になりました。こんな風に読んでほしいの。」
先生の言葉には単なる労い以上の意味はないのかもしれない。
だけど、私はそこにこめられた賞賛を感じる。
そしてほんとうにほんとうに嬉しく思う。
さっき動揺した分、さらに体の火照りが高まったみたいだ。
あったかくなった頬が、自然に緩んでしまうのも分かる。
私がやりたいのはこういうことだ。この体の火照りがその証だと。
 
 
 

楽しやネットオークション


ネットオークションにはまっている。
ここ暫くネットから離れていたのが、真面目な大学生になって
頻繁にPC室に出入りするようになったのを機に覗くようになった。

きっかけは単純だ。
大学のPCでIEを開いたら初期設定でホームページがMSNのサイトになっていて、
そのオークションページを偶然開いて眺めているうちになんだか楽しそうに思えてきて
気が付いたら残り時間10分というアイテムを見つけて思わず入札していた…という。

怖いし、信用できないし、と敬遠していたのがそれまでの自分が嘘みたいに、
ほんとに手軽さで楽しくて、うまくすればかなり安く手に入れることができる。
そうしていったんはまってしまうと、アイテムによって終了時間がまちまちなので、
それにあわせて毎日のように覗くことになる。PCの前に座ったら、
メールチェックするのと同じ感覚/頻度でオークションのページを開く。
そのついでに新しい注目アイテムも見つけてしまったりなんかして、
延々とこのループは続くことになるのだ。
ある意味、非常に巧妙な恐ろしいシステムだといえよう。
  

……と偉そうに言ってはみたものの(確かにはまった経緯は上の通りなのだが)、
いくらクリックひとつで入札できちゃう~♪ようなお手軽システムであっても、
いくら毎日どんどん増えていくアイテムたちの無限ループ~♪があっても、

他ならぬ 【私自身】 が、
クリックしないことには、新アイテムをチェックしないことには、
ひとりでに何かが起ころうはずもないのである。


要するに自業自得ってことだな……。

(っていうか、これが結論…??? なんだかずいぶん後ろ向きだな。)
 
 

ヒトリゴタク へようこそ!!


文章が好きだ。
文章を書くのが好きだ。
言葉が好き。
言葉を集めるのも好き。
 
ことばがすき。
 
 
だけど、私は言葉を信用しきれていない。
 
言葉は共通概念であり、記号だ。
しかし、万人が全く同一の概念を有することはありえない。
辞書的な共通認識の上に、個人が+αとして持つイメージは無限だろう。
それが言葉の数だけ存在し、その選択や運用にまで絡んでくるのだとしたら。

どんなに懸命に言葉を練ってもそこにある誤差は埋めようがない気がしてしまう。
私にはそれが怖い。書くことすら怖くなってしまうほどに。
 
 
だけど、書くことはやめない。
危ぶみながら、おびえながら、
私は今日も言葉を紡ぐ。

いつか、
これが自分の言葉だと、胸を張っていえるように。
そして、独り善がりではなく、大切なことをきちんと誰かに伝えられるように。

信頼でき、納得のいく言葉を使えるようになりたい。 
 

ボーイズラブの講評


ボーイズラブの新人賞に出したのだけど、ダメだった。

講評

今回の新人大賞の審査では、小説・イラスト両部門ともに、第2回までの応募作品に比べて技術はあるものの、それを『受け取り手の心に響くもの』まで仕上げられていない作品が多いように感じられました。

【小説部門】に関しては、筆力はあるもののひどくテーマが重く、救いのあまりない作品が多かったように感じられました。シリアスであることが低評価になるのではありません。BLジャンルの作品として楽しめるかどうか、という点において、あまり注意が払われていない作品が多かったのです。B-PRINCE文庫は「読みたいBLは、書けばいい!」というキャッチを掲げて作品の募集を行っておりますが、執筆者の『書きたいBL』は、果たして『読みたいBL』なのか、客観的になって推敲するのも大事な事かと思います。

うーん、落ちるわけだ!
わたしの小説はとにかく暗いし。

完全に出すところ、間違ってしまったみたいだ。

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