文月悠光さんが気になる!

文月悠光さんは18歳で中原中也賞を獲った超絶凄い方だけど、
わたしは最近になって、Twitterで流れてきたものでエッセイを読んで知った。

私は詩人じゃなかったら「娼婦」になっていたのか?――文月悠光「臆病な詩人、街へ出る。 」

(前略)

 事が起こったのは、後半、教授による公開インタビューの時間に入ったときだった。教授は「ふづきさんにいくつか質問をします」を告げるなり、こう尋ねた。

「cakesの連載で『詩を書いていなかったら、キラキラした女子になれたのでは?』と編集者に言われた、とあるね。でも、果たしてそうなのか。逆のパターンもありえたんじゃないか。『女子大生風俗嬢』という本も話題になっていてね。詩人と娼婦は似た部分があると思うんだ。
 もしかしたら、ふづきさんも詩を書いていなかったら、風俗嬢になっていたんじゃないか。ふづきさんは娼婦についてどう思う?」

 一体何を言い出すのだろう。「それを聞いてどうするんですか?」と口走りそうになるのを、ぐっとこらえる。この質問は、教授の仕掛けた一種の「プロレス」なのだろう。怒りに身を任せて、学生たちの前で取り乱すのは得策ではない。さて、どう答えるべきか……。

 壇上で80あまりの瞳に見つめられ、ガラス張りの実験器具に入れられたような感覚に陥った。

壇上にいる間、私はひどく息苦しかった

 私は「きわどい質問ですね……」と言葉を選びながら、次のように答えた。

「性風俗や水商売などのナイトワークに就く女性の多くは、経済的な事情を抱えていますが、その内情は多種多様です。『どう思うか?』と問われても、今ここで、その立場にいる女性の気持ちを想像するのは難しいですし、実情を知らないまま語るのは暴力的に思えます。向き合ってみないとわからない、というのが本音です」

(中略)

 あの無遠慮な質問に、どう振る舞うべきだったのだろう?
 講義から数ヵ月が経った今も、私は嫌悪感に苛まれ、原稿を書き出しては手が止まっている。セクハラじみた質問に対して、私はあの日、動揺を隠すので精一杯だった。なぜもっと率直に反応できなかったのか。怒りと悔しさが渦巻いて、意識を離れない。

 私は苦笑いなどするべきではなかった。あの場で、きちんと生の声で怒りを表明するべきだったのだ。

「娼婦ってなんですか? 自分の意志で性風俗の仕事を選んだ女性もいれば、やむにやまれず、その仕事に就いた女性もいるでしょう。それを『娼婦』とひとくくりにして、私がどう答えたら満足ですか?
『興味がある』と答えたら、私を『性に奔放な女』にカテゴライズするんですか? 『無理です。やりたくない』と答えたら、『性風俗業を蔑視する女』にくくるんですか? 誰もそんな風に一方的に決めつけられたくないんです」

(後略)

今は最後までは有料になってしまったけれど、
このインタビューもおなじようなものなので、紹介しておく。


今の世を「若き女性詩人」として生きることの生きづらさ/『洗礼ダイアリー』文月悠光さんインタビュー【前編】

「世界の半数、でも社会のマイノリティ」としての女性/『洗礼ダイアリー』文月悠光さんインタビュー【後編】

と云うことなので、

ミカヅキ、今、文月悠光さんが気になっています!

書くことがわたしのテーマのようなものに通じていると思って、勝手に親近感を感じずには居られない!