シルーバー○イト館○の町ショートステイのところ)に警察がきていた。
スタッフが煙草を吹かしながら、語り合っていたことによると、利用者が死んだみたいであった。
「此処、禁煙ぢゃないんだね?」
「おじいちゃんたちが吸うけど、ほら、今日は雨やろ?」
「いやいや、○○さんが吸ってるところを視たし」
「えー? 見間違いやないん?」
違うし! わたしを舐めるなっ!
「○○さん、死んだの? 警察がきていたけど」
「なにもないよ? 警察とかきていないよ? 消防署。ほら、施設を続けるためには許可が要るやろ?」
嘘つきめ! わたしを舐めるなっ!
そんな対応をされて、すっかり不安定になってしまい、安定剤を飲む。
「どうしたん?」
「みんな、嘘つきだから」
「此処のことをすべてカゲリちゃんに教えな以可(いけ)んわけ? そこをそんな風に感じるカゲリちゃんがちょっとおかしいんやないん?」
「ごめんなさい」
謝ってみたけれど、今ひとつ、納得できない!
はぐらかされた感じが厭(いや)だったのだ。
与(くみ)しやすい相手だと侮られたみたいで。
教えられないなら教えられないで、そう云って呉れれば善いのだ!
もっと云うならば、内密にしたいことだったら聞こえるように話すべきぢゃないのだ。
シルーバー○イト館○の町ショートステイのところ)のひと達は、ふだん、認知症のお年寄りばかり相手しているから、
「利用者=なにも判らない存在」
だと侮っているのだろう。
でも、わたしは思うのだけど、認知症のお年寄りだって、シルーバー○イト館○の町ショートステイのところ)のひと達が考えているよりも、
ずっとわけが判っている筈だ。
侮るのがそもそも、間違っているのだ。
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