矢上真理子ちゃんは、元来臆病な性質でした。でも今日はそういっていられません。選択授業が自習になったからです。
真理子ちゃんはバトミントンを選択していました。でも、バドミントンが自習なら、もっと他にやりたいことがあったのです。
それは、同じクラスの岸谷悠馬くんのことです。岸谷悠馬くんは「おはなしクラブ」というマイナーな授業を選択しています。真理子ちゃんの隣の席の斉藤美咲くんと二人しか、この「おはなしクラブ」を選んだ子はいませんでした。
何しろ即興でおはなしを作って、声色も変えて演じるという、真理子ちゃんたちの年代にしてみれば何かと照れくさい内容だったからです。それにもっと簡単で楽ちんな授業はそれこそたくさんありましたから。
だけど、真理子ちゃんは自分の選択を後悔していました。悠馬くんは憧れの子です。しかもそれ以上に、選択の授業の後隣の席の美咲君から又聞きする悠馬くんの作るおはなしが気になって気になってし方がないのです。
真理子ちゃんが聞きたがるものだから、美咲君は張り切って話してくれます。でも美咲君がどんなにがんばっても、そのおはなしがとてつもなく面白かった、ということは伝わるのですが、実際どんな冒険が繰り広げられてというところになると美咲君ではもの足りません。
毎週毎週真理子ちゃんはお預けを食らったように興奮した美咲君の事後報告を聞くだけなのでした。
だから、バドミントンが自習だと決まった瞬間に真理子ちゃんの心は決まりました。「おはなしクラブ」の教室に先回りして隠れていよう。
真理子ちゃんはまず掃除道具入れに入ってみました。しかし臭いがたまりません。
そこで次の隠れ家を探していると悠馬君たちの足音が近づいてくるのに気づきました。真理子ちゃんはとっさに隣のゴミ箱のふたを開けてみました。普段は空き教室ですから、わずかな紙ごみの他は何も入っていません。
真理子ちゃんは急いでゴミ箱に入るとふたを閉めて、こっそり表の様子を伺うことにしました。真理子ちゃんは躰が小さい上とても柔軟でしたので、その姿勢は楽に維持できました。
いよいよです。
悠馬君が教壇に立っておはなしをはじめました。
「金魚の話をします。金魚にはひらひらひれがありますよね? あれは昔は大変に硬かったんです。金魚同士がぶつかりでもしたら怪我をしてしまうほど鋭いものでした。。。」
悠馬くんの声色は優しく、ゆったりとした語り口調でひらひら泳ぐ金魚を再現しているかのようです。
真理子ちゃんは自分が水の中の金魚になったような気がするのですっかり驚きながら聞き入ってしまいました。
そうしていつのまにか、今が何の時間なのか自分が何をしているかなんてすっかり忘れてしまったのです。
選択授業のあとは掃除の時間です。
悠馬君と美咲君は教室を軽く掃除した後、ごみ出しに向かいました。いつもより重いゴミ箱には真理子ちゃんが入っていましたが二人はお互いの作った話の感想を云い合うので夢中で気づきませんでした。
真理子ちゃんは真理子ちゃんで自分が金魚になっているような不思議な浮遊感に包まれていましたから持ち上げられても徳に不思議には思いませんでした。
焼却炉の扉が閉められてしまっても、真理子ちゃんはまださっきの金魚の話の続きを考えていました。
真理子ちゃんが現実に戻った頃には焼却炉には火が入っていて、真理子ちゃんがいくら叫んでも誰にも届きませんでした。
真理子ちゃんはバドミントンをサボってそのまま家に帰ったと思われていたのです。
「あついよーあついよー」
声も続きませんでした。熱気が喉を焼くからです。
そうして真理子ちゃんは灰になりました。
次の日。
真理子ちゃんは行方知れずと云うことになりましたが、授業は通常通り行われます。
今日は堆肥を混ぜた土に灰をかぶせる実習でした。悠馬君も美咲君もクラスのみんなも一生懸命焼却炉から杯を運んでは畑にかぶせました。
お芋を育てているのです。
そして、秋になりました。
真理子ちゃんの顔写真が張られた紙もずいぶんぼろぼろになってしまいましたが、真理子ちゃんはまだ見つかっていませんでした。
今日は収穫したお芋で調理実習です。
おいも入りのお味噌汁を作りました。
ただ、飲もうとするとなぜか、「あついよーあついよー」と云う声が聞こえるような気がするのです。
確かに味噌汁は熱いものです。
「お芋の精がみんながやけどしないように注意してくれてるんぢゃない?」
お調子者の土井先生がおどけた調子で云い、みんながどっと笑いました。
「あついよーあついよー」
「もうだいじょうぶsだよー」
みんな口々にお芋の精ごっこをしながらおいしくお味噌汁をいただきました。
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