■■■[指定型★バトン]のルール■■■
◆廻してくれた人から貰った『指定』を『』の中に入れて答える事。
◆また、廻す時、その人に『』の中身を指定する事。
ミカヅキに与えられたお題は・・・
【小説】
◆最近思う【小説】◆
近代小説とか西洋文化での小説というジャンル、個人的なものを突き詰めて普遍的なものを描き出そうという試み「私小説」から始まったような…は、たしかに魅力的なジャンルだし、まだまだ実験の余地があるけれども、それはそれとして、技法とか編み方については、必ず主人公がいる、何らかの経験をする、それを受けての変化(によってなされるであろう読者の魂の成長またはカタルシス)、ということにあんまり拘らなくてもいいんぢゃないかな。
むしろ、東洋の物語技法的なもの、とうとうと流れ行く時代の流れとかをひたすらに描いていく際に使われていた手法を再発見してもいい時期なんぢゃないかと思う。滝沢馬琴の技法とか。
でも要は一瞬のイマージュでしかないものに、どんなコトバを与え、どう組み立てて、どこまで書くのか。
いつまでだって書くことはできる。だって現実はいくらでもある。見つめる目が捉える画像は、永遠に語り続けることだってできるような種類のものだ。
でもわたしの時間には限りがある。そこの折り合いをきちんとつけなければならない。
自分の表現に関してはそんなことを考える。
あとはイデオロギーとか。利用されないように気をつけたいなと思う。ひとり反戦運動と銘打った自作本とかは、けっこうみんなに好評だけれど、それを利用してイデオロギーを押し付けるような人に利用されるのは避けなければならないと思う。わたしにはわたしの理想があって、だから自分の主義や主張を盛り込むことは否定すべきことではないけれど、それはあくまでわたしという一人の人間の中の真実として後世に残すタイムカプセルのようでなければならないと思う。
そうでないと、作品自体が抹消されてしまうくらい、世の中は時流で変わりやすい。評価を残すことよりは、必然性を持つことを考えたほうがいい。
◆この【小説】には感動!!◆
原体験として「はてしない物語」。
二時間でよんだ。
すごい入り込んでよんだから、もう思考の根底にたぶんいるのだ、あの世界の概念とか。
「源氏物語」などなどいわゆるモノガタリ。
その原型としてある童話とか、世界各地の神話とかもそうだし、それ以前の信仰とか、哲学のはじまりみたいなところとか、その後の宗教のためのモノガタリ、その反証としてくる個人のためのモノガタリ、社会のためのモノガタリ、いろんな異説とかその変遷とか、掘り起こして眺めるだけで感動する。
「アルセーヌ・ルパン」シリーズ。
アルセーヌ・ルパンという人物を生み出しただけで、もう後の世に貢献している。
もちろん、ホームズだってそうだし、エミールとか、アシェンバッハとか、アン(赤毛のアン)とか、名前を上げれば誰もがああと思って共通の像を描くような突出した個性を持った永続的な人物というものが作品にいかに力を与えるかを考えさせられる。これはたとえば、ドナとかシビルとか宮崎勤とかマリー・アントワネットとか、フロイトとかヒトラーとかチェ・ゲバラとか空海とか聖徳太子とか楠正成とか平家の公達とか実在の人物でもいいんだけど。
でもアルセーヌ・ルパンシリーズは一人の作家がこの人物を生み出してしまったために結局一生を捧げなければならなくなったという点で、そして、そのおかげで一人の作家の目によるひとつの時代がほぼ完全な形で残っているみたいな。
そして、着想とかが大きくてめちゃめちゃ素敵。
ルブランが何度もルパンを殺したり、永遠に葬り去ろうとしても、大衆とルパンが許さなくて、ルブランは結局また筆を取る。そういう戦いとしても、歴史小説としてもすごく面白い。
あとルパンという名前は最後のほうまで出てこなくても、ルパン自身がほんのちょっとしか加担しない端役でも、ルパンの小説みたいな感じで受け入れられちゃってるのはすごい。オルカンヌ城の謎とか、これルパンシリーズぢゃないだろと思うけど、日本だったら国威発揚のための作品として扱われて今は残ってないんぢゃないかと思うけど、これが小説として残ってるのがすごい。
そしてやっぱり
「ドグラマグラ」
とにかくこの人は超えなきゃ、と思うけど、あまりにも無謀な企てだと自分でも思う。
◆直感的【小説】◆
スリル 異世界へのダイブ 戻れる保証はない
◆好きな【小説】◆
・誰も知らなくても自分の成長とか(時代や哲学の成長)に欠かせなかったもの。
・それ独自が唯一絶対で、圧倒的なもの。
・何度もよんで表現まで覚えこんでいても、その都度新たに出会える作品。
◆こんな【小説】は嫌だ!◆
・浅い表層だけを意味もなく通り過ぎるただの筋書き
・読み方を限定しないと意味を成さないもの
・音読する罰ゲーム以外には読む意味がなさそうなもの
え、
なに?
まさか・・・
窓のとこ。
あれは・・・うそ、彼だ!!!
やだ、わたしのこと、
みてる?
とかやられると、資源の無駄だ!と思う。文字いっぱいだと逆にすごくうれしい。
いや、実際のところ、こういうものかどうかはちゃんと読んだことないからなんともいえないけど、でも逆にこういうのだけで出版システムに乗れちゃう日本文化ってのも、すごいなとは思う。
◆この世に【小説】がなかったら◆
たぶん小説を知る前に書いてたから、なくても書くだろうけど、日記とかモチーフとか本とか呼ぶだけだと思う。
世の中の人は困るだろうなと思うけど、そう云うこともありえるだろう。文学という分野は別にそんなに独立性を持つべきだとは思わないから、語りとか信仰とか政治とか社会とかの中にモノガタリが留まるのなら、そういうのもありだと思う。それを文学として取り出して愉しむかはまた別の問題だし。
小説はほとんど読まないから、わたし個人は困らないから別にかまわない。蔵書のうち3/4が専門書で、残り1/4で漫画と小説みたいな感じの読書傾向なので。
◆次に回す、5人(『指定』付きで)◆
やべーおもいつかない。
後日考えよ。
***
バトンまわされるのってすごい好きなんだけど、なんだかんだ、あれ誰のどの日記で回ってたんだっけみたいな状態に放置されてるものがけっこうあるような気がする。
でも、なんかこのバトンはかなりハードなかんじだな。
なおながわたしにその題を与えるのか、みたいな、きびしー、って思った(苦笑)。
なのでちゃんと答えようと思ったら、恐ろしく独善的になっちゃった(笑)。
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