わたしは暗闇が好き。
真っ暗な闇が好き。
安心する。
だけど弟は闇を怖がる。
電気を煌々と点けたまま眠ろうとする。
消そうよ、というと渋々従ってくれるけど、これは点けといていい?と微妙な薄明かりを残す。
わたしは逆に薄明かりが怖い。暗闇の中で砂嵐の画面と会話する少女みたいなシーン、ホラー映画であったけど、薄明かりにはそういう怖さがあると思うんだけどな。
弟は真っ暗な闇が怖く薄明かりに安心するらしい。
なんでだろう。
真っ暗な闇は安心するわたし。
真っ暗な闇を怖がる弟。
何が違うんだろう。
わたしが闇を好きなのは、たぶん[内側]の世界だからだ。
例えばわたしは鏡を見るのが厭い。
[内側]、わたしの知っているわたしという自己イメージが侵蝕されるから。どうも自己イメージと[外側]からのわたしの見え方にはギャップがあるような気がして、そのギャップがこわい。
わたしが見て欲しいのはわたしの知っているわたし。鏡に映るのはわたしの知らないわたし。わたしが知らないのに世間には知れ渡ってるわたし。
小さな頃から、それが厭で堪らなかった。
[わたしの知って居るわたし]だけを見て欲しい。だけどわたしには術がなくて、文章とか芝居とか歌とか、今わたしがやれていることは、それを補うために身に着けたスキルだ。
昔は本当に深刻で、わたしは何か不当な扱いを受けたと感じた時、あとから文章を書いてこっそり親に読ませて抗議したりしてた。
今でも口では全然気持ちを伝えられない。口で話そうとすると泣きそうになって何もいえなくなる。今は涙を解禁したから、それでもだいぶ人にものを伝えられるようにはなった。
だけど家を出るくらいまで、わたしは泣くことを自分に禁じて居たので、余計に肝心な時には何もいえなかった。
「泣くのは自分を哀れんで正当化する行為」というお説教の時の母親の言葉にひどく傷つき、かつ重大に受け止めすぎたせいで、泣けなくなっていたのだ。それでハイジが泣かないで居て夢遊病になったというエピソードに自分を重ねて、わたしも泣かないでいて夢遊病になってやるという変な憧れを抱いたから(笑)。
その代わりその頃のわたしは泣こうと思えばいつでも泣けた。一人芝居をしながら、嘘泣きのシーンとかをやっていた。躰の中に哀しみや不条理さがいっぱい溜まっていて、ちょっとそれらに触れることで簡単に涙を出せた。
[内側]と[外側]という概念はわたしの中で一番大きな問題だった。
わたしは内側に閉じこもることが大好きな子供で、逆にいうと外側には鈍感だった。
今なら、わかる。鈍感なわけではなくて、敏感すぎて傷つきやすいからわざと閉ざしていたのだと。
母親の言葉は[テープレコーダーに録って]いた。何か反応を求められたなと気付いた時、わたしは頭の中に残っていた音を再生してみて、そこから意味を汲み取ってから返事を返した。
それからぐるぐるまわるのが大好きだった。
ちょっと自閉症っぽいと自分でも思う。ドナに共感出来る部分が多々あるし。
だけどわたしは「なんて感受性に乏しい子なんだろう」と云われて育った。母親は自分の感受性の豊かさが大好きだったから、わたしに失望していた。わたしはそれを感じるから自分に失望して行った。
でも母親に対する反発がなかったわけぢゃないと思う。
だってわたしは感受性をひけらかす人とか、特別になりたい人とか、すごく軽蔑してしまう。
今のわたしは周りのひとに感受性の塊みたいにいわれているけど、あんまり嬉しくない。
わたしはすべてを自分の統制下[内側]の世界に起きたい。[外側]に振り回されるのはごめんだ。だから恋もろくにしない。
[内側]は安心。
だけど[外側]との折り合いが付かない。
かといって[外側]の刺激はわたしには強すぎて、動けなくなってしまう。
[外側]の刺激を受け入れ始めてから、わたしの精神的な症状は始まった。
わたしは相変わらず[外側]が怖いし、[外側]に見える自分を受け入れられない。
大人になってからはそれを逆手に取っていわゆる「マドンナ戦略」でなんとか「パス」してきた。
でもこれが妥協策でしかない、しかも余計に自分を追い詰めているだけなのは自分でもわかっている。
わからないものを人は怖がる。
だからわたしは彼らがわたしに安心感を抱いてくれるように、わかりやすい形を過剰に提示して来た。
「あどけなさ」、「少女少女した感じ」、「柔らかい雰囲気としゃべり方」。
でもそれは「女の子女の子してて優しい」とか「かわいいけど考えなしな不思議ちゃん」とかいう[外側]イメージを強化してしまう。
「性別を受け入れられてない」とか「考えすぎて自分の世界に閉じこもりがち」とかいう、わたしのほんとうはかえって伝わらない。
わたしは余計に[わたしが知っているわたし]と[外側がみているわたし]のギャップに苦しむだけだ。
そのギャップを埋めてくれる要素は、「勉強ができる」ことくらいかもしれない。「頭いいからわからない」「頭いい人って変わってる」みたいなカテゴリーわけで、なんとかひとはわたしを分類できる。
それにしても相変わらず「わからない」扱いだけど(苦笑)。
…話が飛躍しすぎた。
要するに。
弟は[内側]を見るのが怖いのかもしれない。
彼は小さな頃からとても要領がいい。[外側]の世界と折り合いをつけるのが巧い。
でもわたしたちは同じ家庭に育ったのだ。
背中合わせなだけで、きっと同じものを恐れているのだと思う。