なんの話かというと、件の、[卵の入っていない卵スプレットゲーム]である。
(下の二件を参照のこと。)
ゲームというか、単なる言葉遊びなのだけれど。

卵の入っていないゆで卵。

遊び自体は単純なのに、これはすごい。
なんというか、ある意味、究極だ。

卵の入っていない卵スプレットは、まだ形として残っている。
まぐろの入っていないまぐろ丼だってそう。白飯だといわれようが、存在はある。
だけど、卵の入っていないゆで卵は違う。
ありえないのだ。

それを表す名である筈の言葉は、途端に、その存在自体を無に帰してしまうのだ。
言葉が生まれ出た途端、その存在は消える。
なんという不可思議な現象。
それでいて真理でもある。

たとえば、「点」という概念。
面積のない、という定義は公理としてはとてもよく理解できるのだけど、
実際に描いてみようとするとどんなに細いペンを使おうと、
点を置いた瞬間、面積が生じてしまうのを実感することができる。
存在させた途端に、それは点ではなくなってしまうのだ。
けれど、置かなければそもそも点は永遠に存在しないわけで。
そこにある種のジレンマが生じる。

これとまったく逆のことが、卵の入っていないゆで卵では起こってくる。
点は概念(言葉)の上でしか成立しないけれど、
ゆで卵は、言葉(概念)に消されるのだ。

卵の入っていないゆで卵。
なかなかに深い存在である。